輝いている自分

「ほんとうにしたいことを、どんどんしなさい。ほかのことをしてはいけない。」

これは神との対話の中の一説です。以前友人の口からおなじような言葉を聞いています。

もしかすると彼女は私より先に、神との対話を読んでいたのかもしれません。華やかで活き活きとしたイメージが強い彼女。とはいえ、身だしなみが派手な訳ではないのですが、なにかキラキラとした印象を与える人でした。

いつも楽しそうで羨ましい、どうしたらそんな風になれるのか?私は彼女に聞いた事があります。

その時の彼女の返答が、「したい事だけしている」でした。そんな事が出来るのかと疑問に思う私に、続けて彼女が言った言葉は、「したい事以外はしない。そう考えれば意外と簡単」でした。

他愛もない話でしたが、その時の事を思い出した私は、自分がほんとうにしたいことは何か、紙に書き出してみることしたのです。

温泉、海外旅行。家族との時間。服を買う。などと書き出すと、意外と出てこないし、いつも叶っている事ばかりである事に気づかされました。

そしてマイナスのイメージがある仕事や家事、節約や育児はすべてしたいことに結びつく方法であることにも気づきました。この言葉を通して、私はほんとうにしたいことをして生きているのかもしれない。

と思っています。それからは、日々の生活がパッと明るくなった気がします。私もあの友人のように輝いているのかな?なんて思ったりしています。

子供の頃の夢

「自分が何者であるかを知ろうとするのは、あまり意味がありません。大事なのは何者になりたいかであり、そうなろうと決意して努力することです。」

私は何者になりたかったのだろうか。改めて考えさせられます。なぜ生まれてきたのか。何をする為に生まれてきたのか。今も考える時がありますが、子供の頃はそんな事ばかり考えていた時期がありました。

その頃の私は、職業に対しても無限の可能性を信じていたと思います。最近読んだ記事によると、小中学生のなりたい職業ランキングで女の子に根強く人気のあるのが、アイドルや歌手だそうです。

私にも同じように夢見る時期があった事を思い出させてくれます。記憶にはありませんが、私は成長していくどこかのタイミングで、私はアイドルや歌手にはなれない。

私でもなれる職業は何か?を考え、それを目標とする事に切り変えたのだと思います。そんな私ですが、いまの小中学生で、夢を見ている子供たちには声を大にして言いたいです。

なりたい者になろうとしてみなさい。なろうと決めて、それに向かって努力してみなさいと。そして、私自身にも問いただしてみたいと思います。何者になりたいのかを。

希望する職業にはつかなかった私ですが、これからの人生で、自分が何者になりたいか考え、それに向けて努力してみようと考えたら、とても明るく楽しい気持ちになりました。感謝です。

自信をもつこと

「他人にどう思われるかを心配しているかぎり、あなたは他人のものだ。」

神との対話の中にこんな一説があります。

自分の人生なんだから、自分で決めなさい。そう私は子供達よく言います。私がかつてそうだったように、子供達もまだ自分を自分のものにすることが出来ていないからです。

友達の言うことに合わせている自分。親に怒られるのが嫌で、親の顔色ばかりをうかがっている自分。こんなことをしたら、嫌われるんじゃないだろうか、変だと思われるんじゃないだろうか。

そんな不安を私も子供の頃常に抱いていたように思います。

他人にどう思われるかを心配しているかぎり、あなたは他人のものだ。この言葉通り、私はいつも他の誰かのものでした。友達や親や、時には先生のものでした。

本当は他人のことなど気にせず、自分の思うがままに行動してみたかったのです。本当は美術部に入りたかった。本当は別の高校に行きたかった。ケーキじゃなくドーナッツが食べたかった。そんな小さな後悔だけが残ってしまった気がします。

だからこそ子供達には、自分の人生を自分のものにして欲しいと願ってしまうのかも知れません。他人の評価を気にしてしまう。それは自分への自信のなさの表れだと気付いてほしいのです。自分の言動に自信を持っていれば、おのずとその不安はなくなるんだということを。

いつか子供達がそんな自信を持ってくれる日が来ることを信じて、今はただ応援したいと思っています。

出会い

「ほんとうの自分であること」はたやすいと思っているかもしれない。だが、それは人生で一番の難題だ。決して実現できないかもしれない。」

神との対話の本の中に、このような一説があります。

「ほんとうの自分であること」確かにそれはとても難しいことかもしれません。どんなに気の許せる友人がいたとしても、誰も自分のすべてを見せることはしないでしょう。

では、どうしてほんとうの自分をすべて出すことができないのか。相手の迷惑になるかもしれない。相手を傷つけてしまうかもしれない。理由はたくさんあるようで、本質的理由は、相手にほんとうの自分は受け入れられないと諦めてしまっているからではないでしょうか。

そう考えると、「ほんとうの自分であること」が難題である理由は、人との出会いなのかもしれません。

自分のすべてを受け入れ、許してくれる存在。そんな人と出会えたとしたら、初めてほんとうの自分にも出会える。だとしたら、私はこの難題を実現できているかもしれません。

私には、自分の弱さも、悪さも理解し、許してくれる家族がいるからです。例え家庭の中だけでも、ほんとうの自分でいれるということはとても幸せなことです。
そいて私も家族はもちろんほかの誰かの、そういう存在になれたらいいなと思います。

心に留めておきたい言葉

「抵抗すれば、相手は強くなる。しっかりと受け止めたときだけ、相手が消える可能性がある。」

これは神との対話の中の一説です。

抵抗すれば、相手も反発してくる。それは、人と人とだけではなく、自分自身の中でもいえることだと思います。自分の中に生まれる負の感情。辛い、悲しい、苦しいと思う気持ち。劣等感や不安。

こんな感情で心が苦しくなると、誰もがこの嫌な気持ちを、早く消してしまいたいという衝動にかられるでしょう。けれど「消えて、消えて。」とどんなに抵抗し願っても、その感情は決して消えてはくれません。

むしろどんどん大きくなってしまうこともあります。けれど、この言葉通り、その不安をしっかりと受け止めたとき、その不安がなくなる可能性があるんだと思います。

例えば、何かを不安に思っている時。どうして不安なのか。なにが不安なのか。しっかりと考え、それを自分が不安に思っているという事実を、しっかりと受け止めること。それが大事なんだと思います。

そして、自分以外の人に対しても同様です。いくら話しても意見が食い違う経験は誰しもあると思います。根本的な考え方が違い、私の正義が相手の悪であれば、話は平行線です。

そんな時は、相手を理解する必要があるのでしょう。とても難しい事とは思いますが、心に留めておきたい言葉です。

生きる方法

「人生は、自分が何者であるかを思い出すため、創りなおすためにある。」

これはとても深く難しい言葉だと思います。本当の意味を理解することは、今の私には無理かもしれません。

人生とはなんだ。これは永遠のテーマかもしれません。私は何のために生まれてきたのだろう。何のために生きるのだろう。そんな問いを今まで何度自分にしてきたでしょう。

そんなことを何度問いかけてみても、答えが出ることはありません。けれど理由が分からなくても、私は今まで生きてきました。命があるから、生きる。それは魂が知っていることなのでしょう。

息をすることも、お乳の吸い方も、歩き方も、目を閉じて眠ることも。誰から教わらなくても、私達は生きる方法を知っていました。生きるために必要なことは、生まれた時から全部知っているのです。

ただ、知っている通りに生きればいいだけなのです。あと必要なことは体験することだけなのかもしれません。雪が冷たいことも、ケガをすれば痛いことも、人の手が温かいことも。

それらはすべて体験しなければ概念に過ぎないのだと思います。体験すること、それは命のあるものにだけ与えられた特権なのだと思います。私もこれからもたくさんのことを体験したい。

そんなことを思わせてくれた言葉でした。

息子へ

「宇宙には「良い」状況も「悪い」状況もないと、第一に理解しなさい。すべてはあるがままにすぎない」

この一説を読んだ私は、この言葉を息子に贈りたいと思いました。
今年中学生になった彼は、小学生の時とは違い、「ただいま!」と大きな声で帰る日もあれば、一言も語らずに自分の部屋へと向かう日もあります。そんな思春期の彼に、何と言葉をかけるべきか迷います。

きっと話を聞けば大人の私には小さなことで、「気にしないで」の一言で終わらせてしまうような事なのでしょう。しかし、彼にとっては「中学校」という世界が全てなのです。

「もっと世界は広いよ」、「お母さんもそんな時あったよ」なんて言葉が届いてくれるとは思えません。今回、そのような迷いが、神との対話の一説を読んで晴れた気がしました。

私が本当に息子に伝えたい事は、すべてはあなたの心の中にあるということです。今日という日が楽しい日であったか、これからの人生が素晴らしいものか、自分で決めればいいんだよ。

これからの人生も、色々な事が起こるでしょう。何があってもあるがままに受け止めて、行動する。あなたが楽しいと思えば楽しい、辛いと思えば辛い。そんな想いを込めて、いつか彼にもこの本を渡したいと思います。

父から学んだこと

「あなたが行動すれば、彼らも行動する。まず、あなたから始まる。何もかも、すべてがあなたから始まるのだ。」

この言葉を聞くと、子供の頃父親に言われたことを思い出します。

私は小学生の頃、ある友達をいじめていたことがあります。その子のことが嫌いだったわけでも、いじめが楽しかったわけでもありません。ただ、誰かが悪口を言い始め、みんながそれに賛同してゆく。

典型的ないじめの始まり方だったと思います。注意するのが怖かった。自分が仲間外れにされるのが怖かった。そんな理由をつけ行動することから逃げていました。

そのうち、いじめがばれ親に報告されたのです。とても怒られましたが、罪悪感から解放され内心はほっとしていました。それからぱったりといじめなくなりましたが、その子が一人でいるという状況は変わりませんでした。

いじめていた子にどう話しかけていいのか、どう接していいのかとても悩んだのを覚えています。そんな私の背中を押してくれたのは、父の言葉でした。お前は一度行動するチャンスを逃している。

また今そのチャンスを逃したら、もう二度と巡っては来ないかもしれないよ。勇気を出し、その子といることを選んだ私には、その子との楽しい毎日が待っていました。

あの時行動にうつせたこと。それはその後の自信にも繋がったように思います。自ら行動し踏み出せば、新しい何かを始めることが出来るのだと。

平和な未来

「あなたがたは他人が恐怖のもとだと考えているが、あなたがたの信念が恐怖のもとなのだ。」

この一文を読んで、考えさせられました。誰しも他人が怖いと思ったことはあると思います。

本当に命にかかわるような怖い思いだけではなく、傷つけられるかもしれない。嫌な思いをさせられるかもしれない。そんなささいな恐怖を、私達は毎日抱いているのかもしれません。

いつから他人が恐怖のもとだと考えるようになったのでしょう。幼い頃は、他人に恐怖など感じてはいなかったはずです。もちろん喧嘩をすることや、友達を嫌いになることもありましたが、それは恐怖と呼べるものではありませんでした。

成長し、さまざまな経験や知識を重ねていくうちに、いつしかそんな思いを抱くようになった気がします。

人との間に壁を作り、自分を守ることに必死になり、それでも不安で、時には自ら攻撃してしまう。本当の恐怖はその考え方自体なのでしょう。そのことに、世界中の人が気付くことが出来たら。

自分の信念だけを突き通さず、相手に心を開き、耳を傾けることができるなら、争い事はなくなるのかもしれません。

争いは決してなくならない。そう分かっていても、子供達の未来が平和であることを願わずにはいられません。

病は気から

ほとんどのひとは、まったく無意識に病気を創り出している。なのに、病気になると、よそから何かが降ってきたように感じる

この言葉に出会う前は、病気というものは事故の様なもので、偶然にもその白羽の矢にあたってしまう事は不幸な事と考えていました。しかし、この一説に出会った私は180度考え方を変える事になったのです。

スピリチュアルという物に触れ、理解しているつもりであっても、目に見えないものと肉体との結びつきに半信半疑の自分がいるのかも知れません。しかし、この言葉はずっと前から自分が知っている言葉と同じであることに気づきました。

“病は気から”です。数年前に、胃を患い入院した私は、長い間仕事によるストレス、精神的な苦痛に耐えていた事を記憶しています。ここで言う無意識でもあったと思います。

そのような状況が日常であり、あたりまえであると思い込んでいたのです。入院を境に、仕事を変えた今は、まったくストレスを感じておりません。体も問題なく快調です。

もっと早くに自分に向き合い望む方向に動いていればよかったと思います。これは風邪などのちょっとした病にも言える事ではないでしょうか。意識してれば予防はできるのかと思います。

また、ここでいう病気とは、肉体的な物だけではないと思います。最近は心の病にかかる方が増えていると聞きます。そのような方は、ぜひこの言葉を理解して心を休めて頂きたいと思います。